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一四〇〇年の斑鳩へ3

 平成31年1月に大阪出張の際に行った、奈良・法隆寺。「ここはまるで飛鳥時代にタイムスッリプしたよう」。前回は平山郁夫画伯も修復の加わった金堂の壁画や、エンタシスの柱などのお話でした。今年は聖徳太子が亡くなられて、1400年遠忌(おんき)にあたります。今回はそのお話の3回目です。

 

 力強くも美しいカーブを描くエンタシスの柱をじっくりと見た後は、聖霊院(しょうりょういん)へ。ボランティアさんのガイドによると、元々は僧侶が生活をしていた東室(とうしつ)と言う建物だったそうで、後に前方を聖徳太子を祀る聖霊院に改めたそうです。

 

 まだ、冷たい冬の空気に柔らかな陽がとどき、暖かさを感じます。門松が建つ聖霊院、どことなく宮殿風な作りです。国宝の聖徳太子像が安置されています。特別な日にのみお像を拝観できるそうで、普段は非公開です。その代わりにお像の写真を大きなパネルにして展示されています。「頭が良さそうなお顔だな、随分お若い」。

 

法隆寺聖霊院。聖徳太子の聖地と言われております。

 

 頭が良さそうだなんて、とても失礼ですが、キリッと端正なお顔立ちのお像は装束などから、摂政(せっしょう)をされていた 歳の時のお姿だとされているそうです。このお像は平安時代、今から900年前の保安2年に太子の没後500年に製作されたそうです。ここは聖徳太子信仰の聖地とされ、数々のお守やご朱印などが授与されており、民間の信仰の厚さもうかがえます。

 

 特に飛び抜けた頭脳の聖徳太子にあやかりたいと、合格祈願や学業成就にみえる方が多いようです。聖徳太子と言えば学業だけでなく、大工さんの道具の曲尺の単位を1尺(30・3㌢)に統一されたそうです。また壮大な木造建築である法隆寺を造営した事から、建築業の神様とされ、多くの大工さんや職人さんに信仰されています。私の知人の建築屋さんも1年に1度、会社内で太子講と言う聖徳太子へ報恩感謝のお祭りを営んでおります。

 

 上野の博物館で、聖徳太子1400年遠忌の特別展が7月13日から9月5日まで開催され、このお像も公開されていました。とても行きたかったのですが、まん延防止や緊急事態宣言発令によりとうとう行けず、聖徳太子に会えませんでした。世の中大変な時なので仕方ないですね。

  法隆寺と言えば「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」を思い浮かびます。あの正岡子規の俳句があまりにも有名です。

 正岡子規は愛媛県の松山中学を中退し、東京大学予備門(後の第一高等中学校)へ入学。明治23年に帝国大学(現・東京大学)に入学いたします。その前年の明治22年に気管から出血し、だんだんと病状も進んでしまったそうです。ですが明治28年10月に松山から東京に来る途中に奈良に寄り、その時に詠んだのがあの有名な俳句だと言われております。

 

「柿食えば・・・」の句碑

 

 東京大学予備門時代に同級だった夏目漱石ととても仲がよく、正岡子規が病に患ってからも看病などをしていたといわれています。奈良に入ると東大寺や春日大社を参拝したそうで、いくつかの俳句を残しています。

 

そして法隆寺に訪れると「法隆寺の茶店に憩ひて」と前書きがあり「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」を詠んだと伝えられています。この俳句は夏目漱石の「鐘つけば 銀杏ちるなり建長寺」の句へ、看病や奈良旅行を助けてくれたお礼の句であると言われております。

 

参道より望む聖霊院前の風景。この石垣の中に池があり、五重塔や金堂の屋根も見え風情があります。

 

 私が行ったのは秋ではありませんが「秋の空に鐘の声はいいな」と、想像するだけで風情を感じる俳句です。また、夏目漱石の俳句も秋の情景が良く感じます。夏目漱石と正岡子規の句が対になっているのも本当に素晴らしいですね。

その句碑が聖霊院の前の池の淵に建てられています。一説に法隆寺には訪れなかったなど色々な説があるようですが、この奈良旅行が最後の旅行になり、明治35年に34歳の生涯を終えられました。

 

 次は大宝蔵院(だいほうぞういん)へ。中央のお堂には百済観音が安置され、左右の建物には仏像や絵画など数々の宝物が収められています。その中には玉虫の翅で作られた、玉虫厨子(たまむしのずし)が展示されています。玉虫厨子も百済観音も学校の授業で習った記憶があります。

「あー、これだ!」透かしの装飾金具の下に敷かれていますが、長い年数経っているせいか黒ずんで見え、あまりよく分かりません。「作られた当初は綺麗に光を放っていたんだろうな・・・」。などと、じっくり拝見いたしました。厨子には繊細な線で痩せた虎と、崖から落ちる人が描かれています。

 

 実は、お釈迦様の前世の姿の薩 王子が飢えた虎の親子に自分の身を捧げた場面、「捨身飼虎図」という図柄です。特に中学の国語の授業での中での、この厨子が作られた背景など内容は忘れてしまいましたが、「玉虫の翅を何枚も集め」とあり、先生が「気の遠くなるよう話しですね!」と言っていたのを今でも覚えています。

 

朱も鮮やかな大宝蔵院

 百済観音像(くだらかんのんぞう)が安置されている中央のお堂へ。すごく長身で、何となく今まで目にしているような仏像とは違います。

 優しく微笑みかけてられているようで、そのお顔は何となくヨーロッパの女性的な感じだと思いました。大宝蔵院には大変興味深い舞楽(ぶがく)の古い面なども展示され、長い時間じっくり拝見いたしました。