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一四〇〇年の斑鳩へ2

 平成31年1月に大阪出張の際に行った、奈良・法隆寺。今年は聖徳太子没後1400年となります

前回は日本最古の仁王像などを書かせていただきました。世界最古の木造建築物、その続きです。

 

 金堂の中は普段、格子状の蔀戸(しとみど)で閉ざされていますが、丁度お正月の法要中でその蔀戸が外されています。聖徳太子と等身大と伝わる釈迦三尊像を中心に、東側に薬師如来像、西に阿弥陀三尊像が並び、その周りに数体の仏像が囲んでいます。「ずいぶん優しいお顔だな」。

 

よく見る四天王像は怒った顔ですが、法隆寺の四天王はとても優しいお顔です。こんなに間近に見られて感動致しましたが、感動は更に・・・。壁にはお釈迦様の浄土図などの仏画が描かれています。中国の敦煌莫高窟(とんこうばっこうくつ)の壁画などと、アジアの古代の仏画を代表しますが、昭和24年の火災で焼損しました。

 

金堂と五重塔、その先に中門を望みます。

 案内のボランティアさんが「ここから身を乗り出して横の壁を覗いてみて」。と、言われるままに身を乗り出して壁を覗き込むと、 「修復の日本画家の中に当時 歳の平山郁夫がいました。この菩薩像を平山郁夫(ひらやまいくお)が描きました。まだ若かったので、正面から見えない壁の担当だったそうです。

 

 戸が開いているこの時期にしか見られません」。「すごい平山郁夫の絵!」、それも額に収められた絵ではなく、実際に使用されている建物に描かれた絵だなんて、とても貴重な体験ができ感動致しました。その像は時代の経過を表現するように、優しく色あせた様に描かれ、頬の線や衣の線が、優しくとてもも美しかったです。「もう、いつ見られるか分からないな」と、良い時に当り本当に良かったです。

 

 金堂を後に今度は隣の五重塔へ。我が国最古の五重塔はとても優美な佇まいです。北面の扉が開いており、ボランティアさんの説明があります。興味深く聞いていると「この像は釈迦が入滅された場面で、横たわった釈迦の元に多くの弟子達がいますが、あそこを見てください。腕が6本ある像があります」。

 

「え?あっ、本当だ!」この像は阿修羅だそうで、この像が興福寺の有名な阿修羅像のモデルとなったそうです。「なるほど、言われてみれば似ていますね」。小さくてかわいらしいお像ですが、美少年と称される興福寺の阿修羅像に通じております。

 今度は大講堂(だいこうどう)へと向かいます。大講堂の前には大きな銅製の灯籠(とうろう)が建ちます。ボランティアさんは「ここに桂昌院本庄氏(けいしょういんほんじょうし)と書かれ、灯籠の屋根などには、徳川家の家紋と本庄家の家紋が施されています」。

 

桂昌院奉納の灯籠

 「すごい、五代将軍の母の桂昌院の灯籠!」もう、ここは聖徳太子の時代から将軍のご生母など多くの歴史の生き証人のようで、歴史好きな私は興奮いたします。

 

 今から327年前の元禄7年に法隆寺大改修の資金を集めるために、江戸で出開帳をしたそうです。その際に五代将綱吉と母の桂昌院がこの出開帳に参拝し、多額の寄進をしたそうです。それにより、この灯籠は天下泰平と将軍の健康などを願い、奉納したそうです。

 

母儀桂昌院本庄氏と書かれています。

 ご存じの方も多いと思いますが、桂昌院は元々京都の町屋の娘として生まれ、名前をお玉と言います。お玉は家の事情で京都の寺に奉公に上がりますが、武家の本庄氏に見込まれて、本庄家の養女になります。お玉は本庄家の紹介で、公家出身の尼僧の侍女となります。尼僧は江戸城に勤めることとなり、お玉も江戸城に入ります。 

 

 そして、三代将軍家光に見初められ、五代将軍を生みます。諸説あると思いますが、どうやら「玉の輿」はこのお玉から出た言葉のようです。

 

やわらかな冬の陽が差す大講堂

 「確か、修学旅行では入らなかったはず・・・」次は大講堂に入ります。冬の午後の陽が穏やかに堂内の床を照らし、何とも美しい眺めです。平安時代に造られた、国宝の薬師如来がいらっしゃいます。普段より目にするようなふくよかなお像に「何んだか、新しく見えるかも・・・」と、先ほどの釈迦三尊像の大陸的なお姿からみると、すごく新しく感じてしまいます。時代の流れで、仏像の表情も日本人好みになってゆくのだと思いました。

 

柱の真ん中辺りが膨らんでいます。

 次は回廊を巡ります。回廊の柱は有名なエンタシスの柱です。柱の上下が細く中央部から少し下の胴回りは膨らんでいます。確かこれは柱が細く見えるのを防ぐためなど中学の授業で勉強したのを覚えています。構造的にも3分の1の所に負荷が掛かりやすいので、その部分を膨らませたとも言われておりますが、この技法を日本では「胴張り」と呼ぶそうです。

 

 また、桧は耐久性が長く、伐採してから数百年は強くなり1000年目くらいから少しずつ衰えてくるそうです。授業で先生が「千年ちょっと経っているので、一番良い頃を過ぎたくらいですね」。と言っていたのを覚えています。

 

 

エンタシスの柱が優美な回廊を支えます

 ギリシャのパルテノン神殿もエンタシスの柱と言われていますが、こちらは上に行くほど細くなるようで、法隆寺の柱とは少々違うように見えます。大陸から渡った技法などさまざまな説があるようですが、色々考えると楽しいですね。  つづく