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1400年の斑鳩へ

 平成31年1月に大阪出張の際に行った、太子縁の奈良・法隆寺のお話です。今年は聖徳太子没後1400年。厩(※1うまや)の前で生まれたと言う説や、10人の声を同時に聞けたと言う伝説。また、「日出処の天子」と言う言葉で有名な遣隋使の派遣や、当時の日本初と言う十七条憲法の制定。家柄に関係無く能力のある人材を登用する官位十二階などを定め、国の基を築きました。以前より聖徳太子に惹かれ、太子が建立した法隆寺へぜひ行きたかったのです。

 1月8日、JR法隆寺駅からバスに乗り、程なくすると高い松の並木が見えてきます。そこはもう法隆寺の入り口。バスを降り松並木が美しい参道を進むと南大門が現われます。まだ法隆寺に来た実感が湧いてきません。

そこにグリーンのベストを着けた数人の方がおります。「ガイドはいかがですか?」。と声を掛けられて「ぜひ!」にとお願いを致しました。

 

世界で一番古い木造建築物と言われております。中門と五重塔、金堂の屋根が3つセットで見えますが、松の木も加わりとても美しい眺めです。

 法隆寺へは中学校の修学旅行以来で、その時勉強した夢殿とエンタシスの柱と、玉虫厨子。そして大陸ムード漂う国宝の釈迦三尊像くらいしか覚えておりません。

 今回、ガイドをして下さったのはボランティアの坂本さんです。坂本さんに「特にどこをみたいですか?」と尋ねられ、「金堂と夢殿と中宮寺を見たいです」。と告げると、金堂や五重塔など中心的な建物が建つ西院と、夢殿が建つ東院を案内してくださいました。

 スッキリ直線的な屋根が古めかしさを漂わせる南大門をくぐると真っ直ぐのびた参道の先に巨大な中門が建ち、その奥に金堂の屋根と五重塔が雄大にそびえています。この風景を見てやっと「そうだ、この眺め。やっと法隆寺に来られたんだ!」と、修学旅行で来たときの風景を思い出しました。

 石段の下からから大きな中門を見上げると、「よく今まで残っていてくれた!」と感動いたします

 

日本最古の仁王像

 中門には巨大な仁王像が並んでいます。坂本さんの説明によると実は一見、木造に見えるこの像は塑像と言い、木の芯に藁や縄を巻き、その上に粘土などを塗り固めて像を造っていきます。大陸から伝わった技術により天平時代に作られた像だそうです。彩色も施されてその跡が今でも分かります。日本で最古の仁王像だそうで、1200年もずっとここに立っておられます。

「すごいな!粘土で造って、雨風受けても大丈夫なのかな?」お話によると、やはり痛みも早いので、奈良時代から大がかりな修復が行われていたそうです。大きく腰を曲げて体を傾けた姿は、仁王像の逞しさに加えて優美さがあり、これからの拝観が楽しみです。

 

平山郁夫先生の揮毫

 中門の前には「日本最初の世界遺産 法隆寺」と書かれた石碑が建ちます。これはシルクロードなどの絵画で有名な、平山郁夫先生が書かれた字でした。坂本さんの説明が無かったら、すっかり見過ごしてしまいます。

 いよいよ門内へ。美しい回廊に囲まれ、金堂と五重塔が悠然と建っています。まずは金堂へ。法隆寺と言うと釈迦三尊像を思い浮かぶほど、修学旅行で印象的な像でした。

 35年ぶりに、釈迦三尊像とご対面です。「あれ?こんなに小さかったかな・・・?」中学生の時はもっと大きく見えていたはず。この釈迦三尊像は聖徳太子が亡くなられた後に太子の供養のために造られた座像で、175㎝の太子と同じ等身大でだそうです。私が丁度175㎝、中学生の当時は今より背が低かったので大きくみえたのですね。

 日本で造られた一光三尊(※2いっこうさんぞん)の形の像ですが、大陸から伝来した雰囲気で、面長のお顔にアーモンド形の目。スカートのように垂れた衣のラインがとても美しいです。それにしても頭部から衣の裾まで綺麗な三角形を作っています。スラーッとしたお顔は何となく微笑まれている感じがしました。「あれ?聖徳太子が建てたお寺のなに、この像は太子の供養のため?」不思議です。

 

法隆寺の中心的な建物の金堂。ご本尊を安置します

 法隆寺は太子が亡父の用明天皇の為、1414年前の推古天皇15年ごろに建てたそうです。その15年に太子は49歳と言う年齢で亡くなります。

 最近の調査で、太子の生前の住居であった夢殿の近くに若草伽藍跡と言う元の法隆寺があったそうです。ですが火災に遭い、その63年後に現在の地に再建されたそうです。

 

大きな1枚の板から格子の部分まで、くり抜き造られた金堂の扉。

 坂本さんが更に説明をして下さいます。今から72年前の昭和24年1月26日の早朝、壁画の修復中だった金堂で火災が発生しました。作業のため解体された建材や仏像は他に移されていた為に、難を逃れましたが、修復中の壁画が焼けてしまいました。

 金堂は一部の部材を焼損しましたが解体修理を終え、昭和42年に安田 靫彦先生をはじめ日本画の先生方により壁画が再現されました。「普段は仏像も蔀戸(※3しとみど)越しの拝観ですが、今日は金堂修正会と言う正月の法要中で戸が外されて間近に見られます。

 ここから横の壁を覗き込んでみて」と坂本さん。蔀戸越でなく間近に釈迦三尊像を拝見できて本当に幸運でしたが、更に「良いのですか?」と言いながらも身を乗り出して、壁を見ました。

次回はその壁のお話の続きです。

 

※1聖徳太子にまつわる伝説や言い伝えには色々な説がありますが、私が知る限りのよく知られたものを書いております。

※2ひとつの光背に3体の仏像が収まる飛鳥時代の形。法隆寺のこの像や、長野の善光寺などに見られます。

※3格子状に組まれた扉。平安時代の寝殿造りなどに多く使われました。

 

 

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