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ニューズレター106号「日本三景の松島へ」

新年あけましておめでとうございます

 

 旧年中はお世話になりました。本年も宜しくお願い申し上げます。本年は加納屋創業75年を迎えます。これも皆様のお陰と心より感謝申し上げます。

 

 

 一度訪れたかった平泉。眩いばかりの中尊寺金色堂(ちゅうそんじこんじきどう)や毛越寺(もうつうじ)の浄土庭園など、平安の様式美に心うたれ、翌日は日本三景ひとつ、松島に向かいます。松島海岸駅からは海と島が見え、これから初めて観る景色に期待感が溢れます。潮の匂いを感じ遊覧船の乗り場を過ぎると、程なく瑞巌寺(ずいがんじ)に着きます。

 

 

硯(すずり)の石の敷石

 参道には苔で覆われた地面に大きな杉の木、そして真っ直ぐのびる黒い敷石の左右には、白い砂利が敷かれてています。色のバランスと、更に直線的でとても美しい参道で、何しろ歩きやすいのです。

 団体のガイドさんの話をこっそり聞くと、この敷石は硯(すずり)の石を敷いたそうです。「すごい。贅沢!」最初からの驚きに、これから何が観られるのかワクワクします。

 

 

瑞巌寺の庫裡への入口

 堂内入口の庫裡(※1くり)へ。「大きい庫裡だな!」。その大きさに最初から圧倒されます。この庫裡は昭和34年に国宝に指定され、京都の妙法院(みょうほうじ)、妙心寺(みょうしんじ)の庫裡と共に日本三大庫裡と言われているそうです。

本堂には花鳥や鷹の絵などが描かれた美しい襖絵のお部屋があり、中でも法要が営まれる大きなお部屋には「これは美しい!」と、四方の襖は金色の地に松や美しい孔雀の絵が施され、スッキリとした白木の天井や白壁に収まっています。典雅ですが、やはり禅のお寺でしょうか、武家らしいスッキリした雰囲気です。

 藩主のお部屋の上段の間には、鎧兜を着けた大きな伊達政宗公(だてまさむねこう)の御像が安置されています。「なかなか迫力あるな」と、けっこうリアルでしたが、その政宗公の大きな御像に感動いたしました。

 更に上段の間の隣には皇族がお休みになる上々段の間があります。大きな違い棚が配されたり、御簾が掛かけられたりと、他のお部屋よりも雅な雰囲気です。今から143年前の明治9年、明治天皇東北御巡幸の折には、瑞巌寺が行在所となり、この上々段の間にお休みになられたそうです。

 瑞巌寺は平安時代の天長5年(1191年前)に中尊寺と同じく、比叡山の三代目座主慈覚大師円仁上人(じかくだいしえんにんしょうにん)が建立いたしました。当初は延福寺の寺号でしたが、鎌倉時代に北条時頼により天台宗から臨済宗(りんざいしゅう)へと改宗され、円福寺となります。

 江戸時代になると、伊達政宗は仙台城の造営と併せて鹽竈神社(しおがまじんじゃ)や、衰退した円福寺等の復興に心血をそそぎます。寺号も瑞巌寺と改めました。

 先ほどの硯の石の敷石は雨でも滑らずに歩きやすく、また早く乾くそうでその時に敷かれたそうです。「贅沢」と思いましたがさすが殿様、歩きやすいように人々の事を考えて敷かれたのですね。

 

 

五大堂。島にお堂と赤い橋を撮した画像が多いので、お堂そのものを写しました。

 今度は五大堂(ごだいどう)へ。小島に赤い橋が掛かり、松島と言えばこの風景が思い浮かびます。

 平安時代の初期に坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が奥州(おうしゅう)に訪れた際に、毘沙門堂(びしゃもんどう)を建立したのが始まりで、その後慈覚大師自ら不動明王など五体の明王像を彫り安置されました。「わっ、こわっ!」五大堂に掛かる橋は、その名も「すかし橋」と呼ばれ板の間から建物の約1階分下に海が見えます。

 

 

すかし橋

 

 

下に海が見えます

「財布とかスマホでも落としたらどうしよう・・・」。高所恐怖症なので、要らない心配ばかりしてしまします。

 今では歩き易いように板が渡してありますが、昔は梯子(はしご)の状態だったそうです。気を引き締めるために造られたそうですが、恐ろしい橋でした「きれいな景色!」五大堂の前は海が広がり、島々が浮かぶようにあります。松の木越しに海と島々の風景は、日本らしい情緒で、まるで屏風絵を観ているようです。

 松尾芭蕉は松島の句を詠んだそうですが、あまりの美しさに、奥の細道に載せられる句が作れなかったと伝えられています。あの「松島や ああ松島や 松島や」の句は季語が無く、「季語を忘れてしまうほど美しい場所」だと教えられた事がありました。

 

 

五大堂からの眺め、島々が点在しています。

 ですが江戸時代後期のガイドブックのキャッチコピーに「松島や さて松島や 松島や」と松尾芭蕉でさえも松島の美しさに句が詠めなかったと、面白おかしく書れたものだそうです。まったく、この歳まで騙されていました。

 松島を離れもうひとつの目的地、塩釜に。本塩釜駅を降りると 時をだいぶ回りました。塩釜は寿司屋さんも多く、人気店のすし哲さんへ。お昼を過ぎたのに満席です。やっと空いた席に座り、にぎりを注文。大トロと大きなボタンエビ。ウニやホッキ貝など、この日はお昼から幸せでした。

 全国でも有数のマグロの水揚げ高を誇る塩釜港だけあって、トロも適度な脂で、さっぱりとして本当に美味しく、握りも中はふわっと口に入れた時に丁度良く、板前さんの技が光ります。

 

 

すし哲さんのにぎり。ボタンエビの頭の味噌汁がつきます。

 すし哲さんの壁にちょっと気になる張り紙を見つけました。東日本大震災の時の津波の高さを示したものです。2㍍以上の高さもあり、お聞きしたところ、1階は全て浸水したそうです。お店を出て斜め前の建物にも、私の背丈以上上に「津波浸水深ここまで」と言う標識が取り付けられていました。皆さんここまで大変なご苦労をされたのだと、改めて思い入りました。

 

 

※1 庫裡(くり)とはお坊さんが居住する場所で、また食事を調えるなど台所も兼ねる場合があります。禅宗の寺院では庫裡に韋駄天(いだてん)が祀られていることがありますが、瑞巌寺でもお祀されていました。